はじめまして。カウンセラーの星坂 陽瑠(ほしさか はる)です。

私のプロフィールをご紹介しています。

ここからはより詳しいプロフィールを載せていますので、よろしければ読まれてください^^

甘えるよりも母を助けたかった幼少期

私は2人姉弟の長女として産まれました。

家族は父と母と祖父、祖母、弟の6人。

父と母は厳しいものの、いわゆる「平凡」な家庭でした。

そんな平凡な家庭で、両親にも愛情をかけて育ててもらいました。

ただ、父や母に子どもらしく甘えることはなかなかできない子ども時代を過ごします。

当時母はとても忙しい人でした。

寝たきりの祖母の介護のために、幼い私の手をひき、

まだ首も座らない弟を背に何度も病院を往復し

私たちや祖父の世話に忙しく

厳しく仕事一筋であった父に怒鳴られながらも、

朝から晩まで働く母。

甘えるよりも、私は母を助けたくて助けたくて仕方がありませんでした。

そんな私にいつもまとわりついていたのは「いい子でいたい」という強い思い。

「いい子だね」と周りに言われる度、母の誇りでいられるような気がしていて。

「わがままを言わない、お利口さん」であるために、私はいつも母が正しいと思う方を慎重に選び、行動しました。

しかし、そんな私は気づけば幼い頃から常に自分のことは後回し、先に誰かのために動くようになっていました。

人から褒められるのも苦手で受け取り下手になっていく

小学校高学年になると、私は無数に

「~でなくては」という信念を増やしていくことになります。

「いつも正しい方を選ばなくては」
「いつも笑顔でいなくては」
「いつも誰かのために動かなくては」
「いつも自分で頑張らなければ」

また人から褒められるのが苦手で、褒められてもうまく受け取ることはできない子どもになっていきました。

特に何かあったわけでもなく「苦しいなあ」「悲しいなあ」といった気持ちになることもよくありましたが、何が原因なのかはわかりませんでした。

ただただ自分が決めたルールからはみ出さないように過ごしました。

中学、高校と進むうちに「自分」を失っていくような感覚に苛まれていく

そんな私は段々と周りから見た評価と、自分の評価が乖離するようになっていきました。

周囲の「やりたくない」という愚痴が飛び交う中、大して面白くない授業を熱心に聞き、真面目にノートをとっていました。

周囲は私のことをよく「頑張り屋で真面目で…」なんて褒めてくれるけども、ホントの私の心の中は不平・不満でいっぱい。

それでも人によく見られたいという思いが人一倍強くあった私。

「私もあの子みたいに嫌だ嫌だって言いたいし、もっと休めたらいいのに…。」

そう思いながら周りに嫌われることを恐れ、自分の本当の気持ちは絶対に漏らさないようにと決めていました。

また高学年に上がる頃になると、月に1度程度決まって熱を出すようになっていました。熱と言っても微熱で、体というより心が重たい感覚なのです。

本当は仮病に近いものでしたが、その時は忙しい母がそばに居てくれて看病をしてくれました。

今思えば私はそれで母から愛されていることを確かめていました。

一方で私はそんなことをする自分がたまらなく嫌いでもありました。

休んでしまうと、「嘘をついて休むなんて私は本当に最低」と自分を責めます。

でもだからと言って長く休むなんてことは私にはできません。重たい鎖を引きずって歩くように何とか学校へ向かったこともありました。

そんなことを中学・高校になっても繰り返しました。

そのうちに私は段々「自分」を失っていくような感覚に苛まれていました。

「私」っていったい何だろう。

自分の好きなものもわからず

嫌いなものもわからず

やりたいこともわからず

とにかくがんばる。

根性や努力で私は何でも乗り切る。

・・・でも時折、とってもしんどい波が来て一日休まないと心がぽきっと折れてしまいそうな

今考えるとギリギリの状態で学校へ行っていました。

誰よりも早く学校に行き誰よりも帰るのが遅かった教員時代

そんなギリギリの状態で生きてきた私でしたが、

ある出会いをきっかけに大学で特別支援教育を学んだあと

小学校教員の道へ進みました。

子どもたちと過ごす日々はとても楽しく、充実したものでした。

しかし、ここでも私の

「頑張らなくちゃ」
「誰かに頼らず私がなんとかしなくちゃ」
「うまくできなかったら恥ずかしい」

という思いは抜けません。

その思いからか、私は誰よりも早く学校に来て、誰よりも遅く学校を出る生活を送りました。

要領が悪かったのもありますが、完璧主義で少しでも準備に手を抜けませんでした。

私の様子を見て心配した先輩の先生方から何度も

「働きすぎだよ。ちゃんと休まなくちゃ」と

声をかけてもらいました。

しかし、私はそれにいつも「全然大丈夫です!」と返していました。

本当は苦しくて堪らないときもあったのに、私は一度も誰にも「助けて」と言うことはできませんでした。

結局手を抜くことはできずに、その生活を6年ほど続けました。

産休を迎えて「堂々と休める」ことにホッとする

そんな働き詰めの私もしばらく経ち、結婚しました。

結婚から2年が経った頃、子どもを授かることができ、産休・育休へと入ります。

待望の子どもを迎えられてまさに人生で一番幸せな時ではないかと感じました。

しかも「堂々と休める」ー。

何だかそれに物凄く救われたような、ホッとしたような感覚がありました。

わが子が可愛いはずなのに、不安と恐怖に支配されていく

産休に入る前、私は淡い期待をもっていました。

「仮にも教師として子どもたちに携わる立場だった人間。もしかしたら意外と育児は大丈夫かも…?」

ですが、長男出産後、その期待はいとも簡単に打ち破られます。

寝ないし、食べないし、癇癪もすごい我が子…。

離乳食をこぼせばイライラしたり、

少しのイタズラにも感情的に怒りをぶつけたり。

寝つきの悪いわが子に意識もうろうとしながら「早く寝てよ…」と泣いたり。

本当は笑顔で我が子との時間を過ごしたいのに

イライラしたり、不安になったり、孤独を感じたりするばかり。

夕方になると不安感が増し、黄昏泣きする息子と一緒にワンワン泣くこともしょっちゅうありました。

また、少し大きくなると、今度は別の不安が生まれてきました。

子どもは外で元気に遊ばせないと!と思っていましたが、

我が子は外に出るのを嫌がり、公園に行くのも嫌がりました。

公園に行っても砂場をいじってばかりで遊具には一切目を向けません。

歩くことができるようになっても、大きな商業施設では

「こわい、こわい!」と言って抱っこをせがみ、一歩も歩きません。

支援センターに一歩も入れず、同じくらいの子たちが楽しそうに遊んでいるのをひたすら眺めるだけで帰ったことも何度もあります。

この頃から私は

「何か発達に特性があるんじゃないか…」

「それに私の育て方にも問題があるのかもしれない…」と考えるように。

そこから

わが子が可愛くてたまらないはずなのに、得体の知れない不安と恐怖に支配されていく日々を送るようになります。

しかし、そんな思いを夫や友人、親にさえ腹を割って話すことができず、一人で悶々と抱え込みました。

双子の出産で「助けて」が言えず産後うつの状態になる

そんな中、次の妊娠で授かった子どもは双子でした。

妊娠の経過もかなり厳しいもので、いつどうなってもおかしくないという状態で30週を迎えたものの、最終的に緊急帝王切開となりました。

週数より遥かに小さく、長女は1000g台、次女は800gの仮死状態で産まれた2人は、即座にNICUに入院することとなりました。

2人の状態は決していいものではなく、文字通り「いつどうなってもおかしくない」という状況でした。

治療に伴う大量の同意書にサインする夫を横目に私は

「私があの時もっと〇〇していたらもっと大きく産まれてこれたかもしれない」「もしかしたら明日死ぬかもしれない」
「どんな障害が残るかわからないのが怖い」等、ひたすらぐるぐると考え続けました。

どんなことが起こっても受け入れるつもりだったのに、心の中は荒れすさみ

またそんな風に思う自分のことも許せませんでした。

周囲は私を本当に気掛けてくれていました。しかし、私はそれをうまく受け取れません。

とても孤独でした。

これまで誰かに助けを求めることは「悪」だと信じていた私は

これまでの時と同じように

こんな状況になっても「助けて」が言えなかったのです。

当時病気のせいで次女の顔はどす黒く、体も赤ちゃんの体とは思えないほどかたく強張っていました。

反応も薄いところを見て、長女の発達と比べては明らかにゆっくりなのがわかりました。

「生きてくれてるだけでいい」

そう思っているのも確かなのに、心の隅では長男の時と同じようなざわざわを常に感じていました。

カウンセリングでそのままでいいと受け止めてもらえたことで心が楽になる

次女の状態は芳しくなく、私はこの頃息苦しさや眩暈、動悸などいくつもの身体症状も感じていました。

ですが、それを決して外には出さないようにしていたので、外から見れば「普通」に生活ができるようにはなっていました。

先生たちからいろんなことを告げられても動揺したり、泣くこともなく、次女の面会を行い続けました。

感情を抑えて、元気でいられるように努めました。

誰かの前で弱音を吐いたりしたら迷惑になる、そう思っていたからです。

そんな中、入院中にお世話になったある助産師さんと再会します。

最初はいつものように平気なふりをしようと思ったのですが、不意に「頑張りすぎてない?」と声をかけられ

心の糸がぷちんと切れたように私は突然ぼろぼろ泣いてしまいました。

頑張りすぎてしまい、強がってしまう私のことをとても理解してくださっていた助産師さん。

そのとき私は誰にも話せなかった胸の内を初めて話しました。(当時は気づきませんでしたが、これが私にとっての初めてのカウンセリングでした。)

・自分の中にどうしようもない位黒い感情があること
・周りのママや周りの子と比較して羨ましく思ってしまうこと
・羨ましく思う自分が嫌でたまらないこと
・頑張りたいのに頑張れない自分を責めてしまうこと

ひとしきり話し終わると、助産師さんは私の言葉をただただ受け止め、認めてくれました。

「今回のことだけじゃない。

昔から、ずっと頑張ってきたんだよね。

そう言われた瞬間、私はさらに涙が止まらなくなりました。

そう、私は辛いことがあったとき「辛い」「苦しい」と感じる自分を一切認めず、否定し、排除しようとしてきました。

そうすることで、強い自分でいられると思っていたからです。

でも実は、それこそが私をずっと苦しめているのだとこの時初めて知りました。

これまで人から「そのままで十分いい」と言われても「そんなことない」と受け取れず、自己否定が激しかった私。

「こうあるべき。でもできてない。そんな自分には価値がない。」そう感じてきましたが、

助産師さんからの

「お母さんはそのままでいいんだよ。」という言葉は

すっと胸に入ってきました。

この時の助産師さんとのやり取りは短い時間ではあったものの、数日後、私は随分息がしやすくなっていることに気が付きました。体に出ていた不調もなんだかすっと軽くなっていたのです。

カウンセリングをしてもらったことで、私の心の中にずっとあったわだかまりが少しずつ溶けていったようでした。

心理学に出会い自己肯定感を上げることで視界が一気に開けた

助産師さんとの出会いの後、私は子どもたちのためにも、そして自分のためにももっと自分のことについて知ろうと考え、心理学を学び始めました。

心理学を学び始めるとこれまで点と点で感じていたことが結びついていきました。

私がこんな風に苦しんでいた原因の一つが自己肯定感がとても低かったからだと分かったのです。

双子の出産で生死の狭間に立ち会った時でさえ、私はネガティブな感情を殺そうとしました。

カッコ悪いと思っていた自分を排除しようとしました。

しかも私は過去ずっと何度も何度も繰り返しそれを行い続けてきたのです。

でも、その自分の声を無視することでどれだけ自分を傷つけていたのか。。。

長い間気づきませんでしたが、私の自己肯定感はとても低くなってしまっていたのです。

私はゆっくりだったり、他の子と少し違う発達をしていく我が子たちを見て常に不安を抱えていました。

子どもが成長すれば楽になれる、そう信じていました。

ですが、現実は違いました。

どれだけ子どもたちは成長しても自分の心が何かに縛られていていつも苦しかったです。

子どもの成長をもっと心から喜べると思っていたのに、私はいつだって「ないない探し」をしていました。

子どもに対する心のもやもやも、実は子どもたちが原因なのではなく、

私の心に答えはありました。

子どもが「自分でできない!」とかんしゃくを起こすとき、激しくイライラしてしまうのは、

私が全部自分でしないと!と他人を頼ることに許可を出せなかったからだったのです。

子どもの発達がゆっくりで不安なのは

きちんとできない自分は価値がない、と私が自分を許せなかったからです。

幼い頃から過去の私がたくさん作り上げてきた「信念」は私の見える世界を狭くしていました。

ですが

私が私に「それでいいよ」と許可を出してあげられるようになったら、

あんなに「自分」というものがわからなかったのに、段々と何が好きで何が嫌いかという感覚を大切に生きられるようになりました。

そうすると自然と、子どもの見方、接し方もぐんと変わっていきました。

勿論長い間絡まった糸です。簡単には解けません。

でもその都度自分を許し、認め、絡まった糸を解いていくたびに

明らかに少しずつ楽になっていくことができました。

あんなに低かった自己肯定感は私なりに高まり、初めて心から

「私は私のことが大切で好き」と思えるようになりました。

そうなってくると子どもの姿は変わらずとも

「なんて子どもたちは可愛いんだろう」と心から愛おしく感じられるようになりました。

ワンオペで毎日忙しい日々ではありましたが、

子どもたちと寝る前の絵本タイムを笑顔で楽しめるようになったり

私自身のひとりの時間も心穏やかに過ごせるようになったりしました。

気づけば私だけでなく、子どもたちも笑顔で過ごす時間が増えていました。

自分から動けずどこに行ってもいつも固まっていた子どもたちは、自分の意思で行きたい場所に向かって全力で走り出していくようになりました。

以前お世話になった先生たちからは「別人みたい」「何でですか?」と言われるほど、生き生きとした姿を見せてくれるようになりました。

不思議なことに夫との関係も改善していき、家族全体に以前とは違う優しく温かな時間が増えるようになりました。

子育ての不安がつぎつぎと出てきてしまうお母さんへ

私は現在、小学校へ訪問して発達特性がある子、不登校傾向になった子への支援をしながら、発達支援の仕事に携わっています。

そして自分の経験を生かして日本中のお母さんと子どもたちの笑顔を増やすことを使命としてカウンセラーをしています。

これまで

他の子との発達の違いを気にして落ち込んでしまったり

我が子の行動・言動についイライラして怒ってしまい自己嫌悪に陥ったり

子育ての不安がつぎつぎと出てきてしまったり…

そんな過去の自分のような方との出会いがたくさんありました。

「本当はこんなに愛しているのに」

「本当は笑顔で抱きしめたいのに」

「本当は穏やかに一緒に過ごしたいのに」

それができずに、眠った我が子に「今日も怒ってばかりでごめんね」と謝ってばかり…

そんな声をたくさんお聞きしてきました。

勿論、子育てをしていれば、イライラしたり、もやもやしたりする瞬間は大なり小なり訪れます。

ただそれが強すぎてしまうと、私たちは本来の自分を見失ってしまいます。

これを読んでくださっているあなたも

もしかしたら同じように苦しんでいるかもしれません。

ですが、大丈夫。

今の状況、そして未来は変えられます。

私は心理学に出会うまで20年以上、見えない不安や苦しさと戦ってきました。

あなたはこんなに長く悩む必要はありません。

子どもと過ごす時間は有限です。

私自身、

「もっと早く心理学と出会っていたら子どもと笑顔で穏やかに過ごせる時間も増えていただろうな…」

そんな思いもあります。

これを読んでくださっているあなたには、

私のように長く悩んでほしくありません。

まずはあなたが幸せになるための一歩を踏み出してみませんか?

あなたが幸せになること。

それは決して我がままでも自己中心でもありません

あなたが幸せであることは、子どもにとっても幸せなことなのです。

それによって子どもたち自身も「こんな自分もいいんだ」と受け取ることができるようになります。

それはどれだけ勉強ができるよりも、どれだけスポーツができるよりも、どれだけ物質的に豊かでいられるよりも、遥かに子どもたちの一生分の心の栄養になると信じています。

ママも我が子もとびっきりの笑顔で過ごせるようになりたいママさん

ぜひご相談くださいね^^